当店のあゆみ

2001/3…博多の安定した生活から一転、縁もゆかりもない田舎へ移住し私費「鹿嵐の郷」開業。

2004/1…念願である意味横着な『予約制』を導入。

2004/5…旅館業(簡易宿所)を取得。

2005/1…比較的短命(4年超)だった町内の豆腐屋を、業者買取だと2足3文になる為
高値で買取り豆腐工房を建設。

2007/1…
大分県職員・細川浩明氏の侮辱に耐えきれず「鹿嵐の郷」より「林んち」へ屋号を変更。



マスコミでも紹介されました

 
こちらはすべて取材依頼によるものです。

     2001/6…「シティ情報おおいた」に掲載
     2001/7… TOSハロ−おおいたで放送
     2001/8… FBSめんたいワイドで放送
     2001/10…「BUNGO食べ歩きBOOK」に掲載
     2002/10…「おでかけモグモグ」に掲載
     2002/12…大分合同新聞1面「魅せられて田舎暮らし」に掲載
     2003/3… 全国版「田舎暮らしの本」に掲載
     2003/5… RKB夕方どんどん345で放送
     2003/7… 全国版「田舎暮らしの本」に掲載
     2003/8… FBSめんたいワイドで放送
     2004/1… OBSかぼすタイムで放送
     2004/8…「九州ウォ−カ−」に掲載
     2005/2… 西日本新聞大分版特集に掲載
     2005/8…「大分の豆腐屋さん」に掲載
     2006/3…「おいしいおおいた」に掲載
     2006/4…「スマイル」に掲載
     2006/9… 大分合同新聞に掲載
     2006/10…「九州ファミリ−ウォカ−」に掲載
     2007/2… 大分合同新聞に掲載
     2007/9…「大人のウォカ−」に掲載
     2007/10…「スマイル」に掲載
     2007/11…「スマイルグルメ」に掲載
     2008/5… OBSかぼすタイムで放送
     2008/7…「リビング北九州」に掲載
     2008/8… 「スマイル」に掲載
     2008/10…BY-MAZDA2008秋・冬に掲載
     2009/9… TOSスーパNで放送
     2009/11…OBSおはようナイスキャッチで放送
     2010/5… 月刊プラザに掲載
     2010/6… 大分合同新聞に掲載
     2010/6…
JNN窓をあけて九州で放送
     2010/6大分合同新聞に掲載
     2010/6…「月刊セーノ」6月号に掲載
     2010/6… TVガイド6月号に掲載
     2010/8… KBC水と緑の物語で放送 2009 M-1王者パンクブーブー共演
     2010/9… 九州のムラへ行こう 通算30号に掲載
     2010/9… OAB九州エリアアサデス九州・山口で放送
     2011/3… じゃらん4月号に掲載
     2012/2… 大分合同新聞に掲載
     2012/2…
TBS九州エリア「夢ほっこり・家族の風景」で放送 俳優 宇梶剛士さん共演

     2012/2… 大分合同新聞に掲載
     2012/8… シティ情報おおいたに掲載
     2012/10…BUNGO食べ歩きBOOKに掲載
     2012/11…大分合同新聞に掲載
     2012/11…OBSかぼすタイムで放送
     2012/12…TV東京がんばれプアーズで放送
     2013/4… OABれじゃぐるで放送
     2013/8… どらぐるに掲載
     2013/9… 大分合同新聞に掲載
     2014/5… 大分合同新聞に掲載
     2014/7… NOAS!!に掲載

     2014/8… ふらっとに掲載
     2015/3… シティ情報大分に掲載

     2016/1… スマイルに掲載
      2017/6… 大分合同新聞に掲載
      2017/6… 大分合同新聞に掲載
      2018/10…月刊セーノに掲載
      2019/1… ノースFMジモッシュに掲載
      2019/4… 大分ドリップに掲載
      2019/10…旬感3chで放送
      2020/9… 二階堂スペシャルで放送
      2020/10店主が脳梗塞発病の為暫くの間マスコミ取材お断り
      2023/10…月間セーノに掲載

鹿嵐の郷から林んちへ屋号変更の由来(人生最大の屈辱!)

長文なので当店が本当に好きな方だけご覧下さい。
そうでもない方は目が疲れるだけなのでスルーされて下さい。


平成186・・・細川浩明という役人臭プンプンの大分県職員がやってきました。見た感じ40・・・残念ながらおそらく事件でも起こさない限りTV・新聞・雑誌に登場しない無名人の模様・・・彼は態度からして余程良いお大学でも出られたのでしょう・・・超上から目線でこう言いました。(余程良いと言っても九州限定?年下で東大出身のキャリア官僚が副知事や部長として出向し絶対に頭が上がらない…)「ここは県の補助金で造っているから〜どうのこうの・・・」「最近売り上げは伸びている?」「うちがやらせているドジョウが院内町にあるけど使ってみる?」「今度鹿肉の工場を作るからメニューに取り入れようか?」メニューや家の造りを見ながら今にも「ちゃんとやっているか!」と言わんばかり。なんせ補助金施設と決めつけているので言いたい放題・・・指導の一環だったのかもしれません。私は何度も否定しましたが、鼻で笑いながら「ちゃんと記録があるんだから・・・」と自信満々。彼が居た1時間超は人生で初めて自分が奴隷のよう・・・色々と講釈をたれられお帰りになられた後、納得できなかったので偉そうに渡された名刺の県北部振興局に問い合わせると、女性職員が「申し訳ありません。本人は院内町で活躍されているからてっきり・・・」町内にある補助金遊休施設の『鹿嵐茶屋』と「間違えた」んだとか・・・常駐者は居らず電話すらない無駄な箱モノと同じ扱い?自分よりひ弱で一切お世話になっていない人間からあれ程見下された事はありません。おそらくこれからもないでしょう・・・当店は院内町と言うだけで補助金施設と決めつけられ長年惨めな思いをしてきました。「その程度の事で・・・不動産取得税や固定資産税を納めた事がない官舎住まいの県職員なんかは分からないでしょうが、苦労して努力して未だに払っているローンを組み一生で一番高い買い物を超上から目線で
「お前の店(家)は税金で造られている」
と決めつけられた気持ちは納税経験のある方なら想像を絶するかと思います。情けなくて悔しくて涙が止まりませんでした。院内に来るべきではなかった。後悔の念で一杯です。確かにこの町は数年で万歳した大地の実(豆乳工場)・別館が1年以上閉鎖していたおやつの店・どじょう等その他大勢、税金で建設された施設が点在しているからしょうがありません。
「あ〜院内じゃなければ・・・
この気持ちが頭の中から無くなる事はないでしょう・・・未だにあの高飛車が夢にでてきます。ちなみに『高飛車』の命名は前院内町長の川野哲也氏です。原因が院内町だったので「あなたが税金で造られた無駄な箱モノの尻拭いをさせられましたよ」と奴隷扱いを報告した際、前町長も細川氏をご存じで「彼は以前から横柄な態度をとっていたのでいつかこういうミスをすると思ってました」ですって。すぐクレームに行かれご自分が発した訳ではないのに毎日毎日謝罪に来られたので前町長の顔を立て水に流しました。しかし何1つ改善されるどころか、部下の赤野和恵様からは『今まで支援してきた町のくせに県職員に盾を突くの?』と言わんばかりに、一生消えることない深く傷ついた傷口に塩を塗る恐ろしいメールまでが・・・良識がある人間だと上司が犯した失言。気持ちがなくてもとにかく謝るのがですが…彼女の階級や人生経験にそれを求めるのは酷かもしれません。その後川野前町長と何度かお会いしましたが、「嫌な思いをさせて申し訳ありません。」これ以外は発せられず気の毒でなりません。張本人達はその場しのぎの謝罪のみで「今後利用する!」と約束しながら一度も来店しない又未だに旧屋号で封書を送りつける等反省のかけらも微塵すらないので苦渋の判断として大分県職員入店禁止を決断しました。何度も何度も終わった事は忘れて前を向きましたが、その都度屋号変更を強いておきながら県から旧屋号で封書が届きました。何度も「止めて下さい」とお願いしましたが無視され続けました。「この様にHPに載せます」と言っても無視され、封書は旧屋号で送り続けられました。さすがに気持ちが切れかかり「次送ったらこちらに屋号を変更しますよ。」
    
細川浩明プロデュース 監修 赤野和恵 
 大分県立 農村レストラン 林んち


これでなんとか鹿嵐の郷?とやらの宛名で送ってこなくなりました。酷い話です・・・この様な事を掲載する事に引かれる方・敬遠される方が居られるのは百も承知です。みっともないのですがしょうがありません。警告しても無視された経緯があるので掲載し続けなければ・・・ただ言えるのは結婚式で一番大事な人間に依頼する友人代表挨拶を5人からも依頼される人間がこれだけ憤る程酷かった・・・もう1度言いますが「お前の店(家)は税金で造られている」初対面の県職員から決め付けられ奴隷の如く扱われる・・・おそらく全国でも私だけでしょうね。これも院内町で固定資産税を納める宿命?いや天罰かもしれません。屋号の変更を強いられると看板や印刷物等の出費の実害以外にも『経営者が変わった』『店がうまくいっていない』等の風評被害も受けなければなりません。『細川浩明』『赤野和恵』記憶から消え去りたいし、誰かさんのように毎年画面や紙面に登場できませんので普通は人間の記憶からは消えるんですがこの2人は一生忘れません。ただでさえ商売が厳しい土地柄です。過去を振り返ってもしょうがありません。『院内町だったからこそ・・・あなたと出会えた!』そう思えるように心がけております。
こうして私費らしい屋号・我の強い屋号は誕生しました。だってここは私んちですもん・・・

    


当店のエピソード
院内で町に無関係の人間が、難しいと言われる飲食店と田舎暮らし+子育てをする。こんな無謀な事は前例もなければ後の例もありません。ですから当初は潰れる・長続きしないと冷笑されながらのスタートでしたが、ファンのお客様の強力な支えとなにくそ根性で現在も存続しております。県下有数の立地悪条件にもかかわらず当店がなぜ潰れないのか?ベストセラーの『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』じゃありませんが、イチロー曰く「人が真似できない事を長く続ける事が一流」に少しでも近づけるよう、背伸びをせず『心温まるおもてなしが出来れば…」と思っております。



           
   

林んち語録
『消極的後悔よりも積極的失敗の方がいい』


常に心がけていることです。こんな田舎に勇気を出して引越してきたのもその思いからです。「田舎で商売をしたい・田舎暮らしをしたい」と思う人や、逆に「都会で勝負したい・都会で暮らしたい」と思う人も星の数ほどいるでしょう!思うだけなら子供でも出来ます。一歩踏み出さないと!怖がらずに…例えば子供に「片付けなさい!」と注意した時に、「今しようと思いよった!」このような返事は当たり前です。両親を早くに亡くした私は、「定年まで無難に勤めてそれからでも遅くない」とか、「第2の人生でやりたい事をやればいい」なんて生きている保証がない限り思えません。あの時の判断が正しいか?間違いか?答えは永遠に出ないかもしれません。たった1度の人生だからこそ、20年後・30年後仮にあのまま親の寿命以上に生きていた際「やっぱりあの時あ〜しておけばよかった」と言いたくない…そんな思いが現在の姿です。


以前監督をしていた春日リトルラガーズクラブ25周年記念誌より  2005年発刊

『消極的後悔よりも積極的失敗の方がいい』   林 政信

25周年誠におめでとうございます。平成5年から12年までお世話になった当時を振り返ると、生徒と年齢も近かったので、よく一緒になって走った事を思い出します。ラグビー部のない公立高の受験に失敗し、嫌々行った高校で出会ったラグビーが、今は何をするにも支えとなり役立っています。題名は「あの時やっぱりこうしておけば」と思うなら、「これだけやったけどだめだった」と思えることが出来ればとの思いです。勿論、ラグビー以外に勉強でも、恋愛でも…    原文のまま  


 
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